2005年08月18日

ただのゆるい淀み

20050806(029).jpg


 最近トーンを落としてみてます。
 潮の満ち引き、月の満ち欠け、大気の対流。
 少し前までは、満ち満ちていた自分のトーンも
 引き欠けトーンへ変化してきているようです。

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ルドルフ・シェーンハンマーは食べ物を構成する分子に
標識をつけ、それが身体を形作っている分子群とめまぐるしい
速度で入れ替わっていることを示したのである。

食物の分子は高速度で身体の構成分子に入り込み、
それと同時に身体の分子は高速度で分解されて外へ出てゆく。
つまり、生命は、全くの比喩でなく、「流れ」の中にある。

個体は感覚としては外界と隔てられた実体として存在する
ように思えるが、ミクロのレベルではたまたまそこに密度が
高まっている分子の、ゆるい「淀み」でしかない。
生態を構成している分子は、すべて高速で分解され、
食べ物として摂取した分子と置き換えられている。
身体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作り変えられ、
更新され続けるのである。だから私たちの身体は分子的な
実体としては数ヶ月前の自分とは全く別物になっている。
分子は環境からやってきて、一時、淀みとしての私を作り出し、
次の瞬間にはまた環境へと解き放たれる。

つまり環境は常に私たちの体の中を通り抜けている。いや、
通り抜けている、という表現も正確ではない。なぜなら、
そこには分子が”通り過ぎる”べき入れ物があったわけでなく、
ここで入れ物と呼んでいるもの自体を、”通り過ぎつつある”
分子が、一時、形作っていたに過ぎないからである。つまり
ここにあるのは、流れそのものでしかない。その流れの中で、
私たちの身体は変わりつつ辛うじて一定の状態を保っている。
その流れ自体「生きている」ということである。
シェーンハイマーはこの事実を目の当たりにして、これに
「動的平衡」という素敵な名前をつけた。
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 以前購入した雑誌「ソトコト6月号」の
 「流れ、それが
  サステナビリティの
  本質である
  文:福岡伸一」
 からの抜粋文章です。読み飛ばしていた文章でしたが、
 今朝トイレの中で読み返して、今の自分にしっくりくる文だったので
 大変気に入りました。

 自分は数ヶ月前の自分ではないこと。生まれ変われるとよく表現される
 ことは、分子レベルで考えると日常茶飯事に起こっていること。
 自分という身体は「ただのゆるい淀み」であること。

 視点を変えるってこういうことなんですね。
posted by ringo134 at 22:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | Think
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